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室長日記「田峰観音 高勝寺」
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ビジネスリンクスナゴヤ室長新井です。
今回、田峰観音に訪れました。こちらは偶然たどり着いた場所で、寄り道してみることにしました。調べてみると、このお寺は500年以上の歴史を持ち、愛知県指定文化財に指定されているようです。敷地内もきちんと手入れが行き届いており、とても美しい状態です。また、いつもお寺の方も在廟されており、お守りやお札なども販売されていました。訪れると、歴史の重みを感じることができます。
また、隣にある楽堂の天井絵は素晴らしいもので、歴史文化財に指定されているだけのことはあります。場所は少し山奥にあり、分かりにくいかもしれませんが、ぜひ足を運んでみてください。
歴史
寺伝によると、松芽観世音菩薩は慶雲2年(705年)3月17日に宝飯郡行明から勧進したと伝えられている[1]。
文明2年(1470年)には田峯菅沼氏の菅沼定信が田峯城を築城し、田峯城の鎮護のために高勝寺と称する堂宇を建立した[1][5]。当初は高松寺と称していた[6]。この際に京都から十一面観音菩薩を勧進し、松芽観音菩薩と合祀している[1][5][6]。文明13年(1481年)には境内の梵鐘が作られた[3]。
菅沼定忠の時代である永禄2年(1559年)の大祭から田楽を取り入れている[5]。正保元年(1644年)に同じく田峯の日光寺が焼失し、再建のために段戸山の御料林を誤って伐採してしまった[5]。これにより代官に盗伐の疑いをかけられたため、田峰観音に歌舞伎を奉納して願掛けした[5]。代官が御林検分する日は6月にもかかわらず、雪が降って切株が覆い隠され、村人は盗伐の重罪を免れた[5]。これ以後、田峰観音の大祭では戦時中も休むことなく奉納歌舞伎が続けられている[5]。
明治期の廃仏毀釈で高勝寺は廃寺となり、日光寺の境外仏堂である大悲閣高山観音堂として管理された[1]。1942年(昭和17年)には宗教団体法の発布によって独立し、段嶺村の村営(信徒総代による運営)となった[1]。
田楽奉納を行う本堂の狭隘化や老朽化が進んだため、2002年(平成14年)には本堂の増改築が行われた[7]。













田峰観音 高勝寺
〒441-2221 愛知県北設楽郡設楽町田峯鍛治沢14
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